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栃木SCふぁん!No.255 MVP&新人賞
栃木SCふぁん!No.255 MVP&新人賞_f0136083_12515165.jpg  天皇杯準々決勝の鹿島アントラーズ対ホンダFC戦を仙台で見た。ホンダは東京ヴェルディ、柏レイソル、名古屋グランパスのJリーグ3チームを破ってきた。今季Jチャンピオンの鹿島を相手にどんな戦いをするのか興味があったし、栃木SCのJ2昇格に立ちふさがった相手の真の力を確かめたかった。ホンダはプレスサッカーを貫き、攻撃意欲も高く、堂々たる挑戦者だった。0-0の延長戦から、助六寿司の中に大トロの握りが1個だけ入っていたような決勝点(柳沢)で鹿島が勝ったが、ホンダの大健闘は同じJFLの仲間として勇気付けられるし、来季も強力なライバルになるだろうことを思い知らされるものだった。
  さて年末恒例、筆者独断、今季の「栃木SCふぁん! MVP」の発表です! 栄えある(?)受賞者は、栃木SCサポーター! ホームでもアウェーでも彼らの応援が選手たちを支えていた。前期のソニー仙台戦、後期のアルテ高崎戦と流通経済大戦のアウェー3勝は、サポーターの後押しが大きく影響していたと思う。リーダーの鈴木茂さんをはじめ、郷土愛に満ちた大勢のサポーターたちが栃木SCにとって最も大切な存在であることを認識できた一年だった。J2昇格の夢が破れてからの試合で、それまで以上の応援をしている姿には胸が熱くなった。年間観客動員数でリーグ新記録となる7万5762人という数字もMVPモノだ。J2に昇格したロッソ熊本とFC岐阜を大きく上回っての1位。純粋に「栃木県」という観点で見ても、これだけの人が集まって熱狂するシーンは特筆に値する。地元でも「栃木県は元気がない」と言う人が多いが、栃木県グリーンスタジアムに一度行けば見方は変わるかもしれない。
  こちらも独断、今季「栃木SCふぁん! 新人賞」は右サイドMF高安亮介選手! 深澤とのダブルも考えていたが、最終戦の好アシストで決まった。この時のことは第251回コラムに書いたが、本人に話を聞いたら、やはりちょっとしたパフォーマンスをやっていたようだ。これは高安の武器であり、チームの武器にもなり得る。ライバルチームのディフェンダーに知られないように、内緒にしておく。来季のピッチでどんどん見せてもらうことにしよう。
  8月に買っておいたチケットで、シーズン終了後にコンサートを聴いた。若杉弘指揮・東京フィルハーモニーで、シューベルトの「未完成」とブルックナーの交響曲第9番。クラシック好きにとっては究極のプログラムだ。8月の発売日のころ、毎日のように勝ち点計算をしていたが、どうやっても栃木SCは6位止まりだった。4位の最終勝ち点を59と算出(結果も4位・アローズ北陸は59だった)し、そのためには「残り11試合を9勝2敗が限度」と新聞にも書いた。それから4か月後、東京オペラシティで本番を聴きながら、「栃木SCは未完成だったなぁ。でも完成されたチームなんて世界中のどこにも存在しないんだよなぁ」などと考えながら、この一年間を包み込んでくれるような音響にひたった。ちなみに、ブルックナーの9番も未完の曲だが、交響曲史上、最も高みに到達した作品だと私は思っている。
# by tsc2007 | 2007-12-25 12:52
栃木SCふぁん!No.254 決定力不足だったのか
栃木SCふぁん!No.254 決定力不足だったのか_f0136083_11235444.jpg  14勝10分け10敗・勝ち点52で8位。チームにとってもサポーターにとっても不本意だったこの結果は「43得点・29失点」がもたらした必然だったのだろうか。18チーム中、得点は13位、失点は1位。リーグ最少失点を大いにたたえた上で、それでは「攻撃は悪く守備は良かったのだろうか」ということを私なりに検証する日々がまだ続いている。
  JFLの7シーズンは「上位を目指す」という漠然とした目標だったが、初めてJ2昇格という明確な目標を持った今シーズンは、戦い方が慎重になった。「いい守備から」が高橋監督の口ぐせだった。このあと「いい攻撃へ」と続くのだが、まずはいい守備をするために労力の6~7割を使っていたように見えた。単純に考えれば、攻撃の労力配分は3~4割となるので、失点は少ないが得点も少ないことになる。これに、春から夏にかけての異常な猛暑がマイナス要因となった。暑さは両チームに平等だと言う人がいるけれども、練習環境が悪くフィジカルコンディションに劣る栃木と、しっかり整えてきているライバルチームとの間には90分間戦ううちに決定的な差ができたと思う。柱谷監督にかわった後期は、昼練習への移行でコンディション作りは改善されたが、勝ち点を失い過ぎていたので、目指すところの攻撃サッカーとは裏腹に、見えないプレッシャーからか積極的にゴールを狙う意識が薄かった。絶好の位置にボールを運んでもパスを選択するシーンなどは、負けられない重圧のために思い切ってシュートを打てない心理が働いていたからだろう。4位以内が絶望的になって、もう開き直るしかなくなってからシュートもゴールも増えた。攻撃に労力をかけられないならCKやFKなどセットプレーからの得点がポイントになるが、間接的な形やこぼれ球も含めてCK6点、FK2点、PK1点で計9点しか取れなかった。2度のPK失敗は別にしてもあと5~6点は欲しかった。
  シーズン終了と同時に、失敗の原因を「決定力不足」に求める論調が目についた。低迷してから、クラブがまずFW上野を獲得した背景にも、その考え方があったと思われる。でも、例えば終盤7試合で10点と大爆発した横山聡は開幕当初からピッチにいた。彼は前期2ゴールしか取れなかった。前期は決定力不足の選手で、後期は決定力ある選手だったというのだろうか。前期も後期もサトシはサトシだった。元日本代表FW山下は6点しか決めなかったが、ポストプレーヤーの彼はもともとゴールを量産するタイプではない。
  優勝した佐川急便の御給や2位・ロッソ熊本の高橋のような傑出した点取り屋がいれば話は別だが、そうでないチームの得点と失点は連動している。失点しないサッカーをやっていた栃木が、得点も少なかったのは必然だった。3位・岐阜は得点45・失点31で栃木と2点ずつしか違わないし、4位・アローズ北陸も得点50・失点35で大差はない。それなのに勝ち点で8~7の差がついた。かじりついてでも欲しかった「4位以内」は、そんなに遠いところにあったのではない。ピッチレベルでは、4位以内を逃した原因は不用意な失点(守備)だった。栃木のリーグ戦全試合の得点と失点を見た立場から、そう感じている。だから「決定力不足」の一言で総括されるようだと、来季もまたつまづくことになると私は思っている。
# by tsc2007 | 2007-12-19 11:24
栃木SCふぁん!No.253 只木は郷土のヒーローだった
栃木SCふぁん!No.253 只木は郷土のヒーローだった_f0136083_1471589.jpg  栃木SCに9シーズン在籍し中心選手として活躍してきたMF只木章広が、ほかの多くの仲間と共に退団した。高校教師の只木は、来季完全プロ化構想の中で残留できなかった。栃木SCに彼がいないことを想像するのは難しい。まだ32歳。年齢的な衰えもなく、自ら退団を希望した訳でもないのだが、これも流れの一つなのだろう。
  只木の印象はJFL参戦1年目(2000年)から鮮烈だった。当時はまだ「司令塔」の言葉が普通に使われていたが、栃木の背番号10番はFWよりもシュート数が多い選手だった。速くて前向きな攻撃タイプだったが、主将を経験(03~05年)し守備意識も高まった。主将時代の只木は、周りにいろいろ言うのではなく、自分が全力プレーすることでチームを引っ張っていた。
  1年前、「チームをJ2に昇格させて引退する」と誓ったものの、その夢はかなわず、失意のシーズンとなってしまった。ケガもあって前期は出場ゼロ。「育ててもらった高橋監督の力になれなかった」ことが心残りだ。柱谷監督に代わった後期は11試合に起用され、4試合は90分間フル出場。最終戦も61分、小林に代わって途中出場した。上野(54分に交代)がつけていたキャプテンマークは、谷池が気をきかせたそうで、山下が左腕に巻いてくれた。76分には栃木SC最後のシュートを放った。ミドルレンジから、ゴール上に外したが「失点した後で流れが良くなくて、シュートで終わることが大事」との判断だった。
  ラストゲーム後のセレモニーでは選手たちが一人一人抱きついてきて、只木は涙でくしゃくしゃになった。「自分はみんなに支えてもらっていた人間だったから」。本人には知らされていなかったうれしい出来事もあった。指導する宇都宮白楊高サッカー部の部員たちが寄せ書きのフラッグと花束をプレゼント。今度は笑顔でくしゃくしゃとなり、胴上げまでされた。記者団に囲まれた只木は退団することについて聞かれ「古い人がチームを去ることは、新しい変化にいい流れを作ることになる。そこまで携われて、悔いはない」と言った。9年間を振り返って「つらかったころのことは思い出せないですね。忘れられないのは吉見が3点目をぶちこんで勝ったホンダ戦(05年)。ホンダに勝つことは夢だったんですよ。強くて規律あるホンダより強くなることが目標だったから、同じレベルまで来たんだと…。自分のゴールよりうれしかったなぁ」。
  今後は「生徒を全国や次のステージに導くこと。指導者としても恩返ししていきたい」と教師の顔に戻ったが、「これまでの仲間ともう少しサッカーをやりたいですね。今を逃したら、この仲間たちを集めることはできません。雄二(遠藤)とか高秀とか茅島とか…。自分も、選手でもコーチでも、何らかの形で携わりたい。栃木SCを応援しながら、サッカーを続けられればと思います」と、選手としての意欲も衰えていない。JFL通算175試合に出場し、FW佐野の40ゴールに次いでチーム2位の33ゴール。「栃木不動の10番」として相手チームに恐れられた、真の郷土のヒーローだった。同じ真岡高―順天堂大の堀田と種倉とともに、栃木サッカーの一時代を築いた功労者でもあった。
# by tsc2007 | 2007-12-11 14:00
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