No.208 堀田が連続フル出場「80試合」の新記録
f0136083_10503210.jpg  栃木の鉄人・堀田利明が31歳最後の試合となった前期第7節のアローズ北陸戦で、JFLの連続フルタイム出場80試合の新記録を達成した。前節のソニー仙台戦で、03年にFC京都1993のMF藤原敬二が記録した79試合に並んでいた。だから栃木市総合運動公園に集まったファンには、大記録が生まれつつある90分間を固唾をのんで見守るという、まれに見る観戦要素があったのだった。試合終了のホイッスルの瞬間、ボランチ堀田の体は目一杯だった。メディアに囲まれての第一声は「負けの雰囲気の中で全員が走って1点取れたけど、ホームなので勝てなくて残念」。話す内容のほとんどはゲームの反省のことで、記録のことは聞かれなければ答えないのが堀田らしかった。
  04年後期第7節から、リーグ戦の4年越し80試合すべてにフル出場。05年・30試合、06年・34試合の2シーズンを連続で皆勤賞だ。実は03年もチーム内最長出場時間。「全試合出場が目標」と臨んだ04年は30試合でたった1試合の欠場だった。それは、夏のリーグ戦中断期間にJFL選抜チームの一員としてサウジアラビアの国際親善大会に遠征し帰国直後だったアウェーの愛媛戦。その1日後には天皇杯予選の栃木トヨタカップ準決勝にフル出場している。この事情がなければ、80試合どころか「115試合連続フル出場」「3シーズン全試合フル出場」という途方もない数字になっていた。
  真岡市生まれの堀田は真岡高から順天堂大に進み、当時JFLの水戸ホーリーホックに入団。J2昇格に貢献したが「友達がたくさんいる栃木県リーグでサッカーを楽しみたい」と真岡クラブに移った。すぐに国体に抜てきされ「只木(真岡高―順大)たち栃木SCの選手と一緒に戦って、上のレベルでやる方が楽しいと感じ」、セレクションを受けて02年に栃木SCへ。当時ボランチだった炎の主将・菊地隆之(真岡高監督)の後、攻守の要を担ってきた。159試合に出場し11得点。05年にはチーム初のJFLベストイレブンに選ばれた。会社勤めの傍ら、接骨院に通って体のメンテナンスを欠かさない。強じんな肉体と精神力、警告の少ないフェアプレー。高橋監督は以前から堀田のことを「チームの模範」と言っていたが、記録達成日の会見では「JFLの顔と言ってもおかしくない選手」と最大級の表現でたたえた。
  今年はプレシーズンから脚を痛めて出遅れた。開幕直前の練習試合では鼻骨を骨折する大けがを負い(交代選手が入ったことに気付かずにピッチに戻ろうとした!)、開幕戦は鼻に分厚い絆創膏を張って強行出場。翌刈谷戦では風邪で38度の熱を出し「ホテルでぎりぎりまで寝ていて、初めて点滴して出場しました」。記録がかかった堀田にとっては最大のピンチだった。私は堀田の連続フル出場を04年シーズン終了時点で意識した。同年の当コラムMVPに選んだ理由もそれだった。以後、ある種の感慨を伴ってそのプレーを見続けてきた。「80試合」の金字塔、おめでとう。
  堀田は新記録樹立の原動力を記者団に問われて「自分一人では成し遂げられませんでした。トレーナーやいろんな人のサポートがあったから。感謝しています」と謙虚に語った。「チームのJ2昇格に貢献する」という思いは水戸の時に比べてはるかに強いに違いない。首位争いの直接対決となる次節のFC岐阜戦がある4月29日は32歳の誕生日。北陸戦ではもろ手をあげて喜べなかったので、岐阜に勝って、地元ファンと改めて喜びを分かち合えることを祈ろう。
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by tsc2007 | 2007-04-26 10:50
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