No.225 過酷だったFC琉球戦
f0136083_11574662.jpg  栃木県内のそばの名店を集めた本の出版事業を担当したことがある。子供のころ、おばさん(母の姉)が手打ちそばをよくふるまってくれたことが、大人になってそんな仕事をするようになった原点だったと思う。そのおばさんが82歳で亡くなって、お葬式と沖縄取材が重なってしまった。水曜日になってやっと休めて、ご霊前に線香をたむけてきた。ほほ笑む遺影は、12年前の沖縄旅行の際のスナップだという。やさしかったおばさんのことを思い出しながら、これも何かの縁だったのかと、当コラムを書く気持ちを奮い立たせている。
  柱谷監督の初陣となった7月1日の沖縄は猛暑だった。風のある日陰の気温は32度。炎天下は35度以上あったろう。FC琉球の吉澤監督は栃木戦を前に「相手が慣れない暑さで運動量が落ちてきた時、攻め込みたい」(6月30日付・沖縄タイムス)と言っていたほどだ。柱谷監督の準備期間は4日しかなかった。ボールを使いながらアジリティを上げる練習をしたものの、十分であるはずはなかった。「選手一人一人の特徴も把握し切れていない」(柱谷監督)という中、注目の起用メンバーはこれまでと大差はなかった。4・4・2で、トップは上野と横山聡。サイド攻撃を意識した運び方も同じだった。開始10分は栃木ペースだったが、徐々に琉球右MF濱田がフリーで侵入する場面が増え、その結果、高野が濱田を倒してFKを与え、小野の低くて速いボールからゴール前中央で松原にヘディングシュートをたたきこまれた。私は誰がマークしていたのか確認できなかったが、マンマークと言う前に、入ってきたボールをはね返すというゴール前の守備の基本を守ってほしかった。
  あまりの暑さに、私は沖縄の人たちに笑われたって構わないから、いつも用意している黒い雨傘を差して直射日光を避けながらカメラマンラインにいた。この暑さで先制されて厳しいなぁと思った。事実、運動量もプレーの精度も低下してきた。37分ごろ、調子が良さそうに見えていた小林が体調不良で突然リタイア。柱谷監督にとっては大きな誤算となった。後半に入って59分に山下を投入しリズムが好転したものの、一進一退の消耗戦が続いた。永井が入ってかき回したり照井がパワープレーに入ったりしたがゴールは遠く、終了間際の波状攻撃でも決められず、0-1で柱谷監督の初陣も後期初戦も飾れなかった。柱谷監督は「ゲーム全体のコントロールは良かった。ビルドアップも良く、起点もつくれた」と選手たちをポジティブに評価した。しかし、Jリーグで戦ってきた水準から見れば物足りない内容だったに違いない。サイドからのクロスボールやフィニッシュの精度を課題に挙げ、「あきらめないで修正していく」と意外にさばさばした顔で言った。柱谷監督にすれば、これからがチームづくりや戦術練磨の本番。沖縄で失った勝ち点3は、上昇への投資と考えよう。
  クラブは翌7月2日、石川、茅島、永井、高野、久保田の5人とプロ契約したことを発表した。選手の心は揺れていたので、期待と不安、夢と現実、決断と逡巡、いろいろな心が交錯した先の結論なのだろう。栃木SCにJ経験者は増えたが、チーム内でアマチュアからプロ契約したのはこれが初めて。それだけでもうれしく思うファンは多いのではないだろうか。クラブはさらに同日、京都サンガのMF米田兼一郎のレンタル移籍も発表した。柱谷監督が率いた京都のJ1昇格に貢献した選手だというから、注目だ。
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by tsc2007 | 2007-07-05 12:00
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